News & Report

ニュース&レポート

2021.07.25 (sun)

レポート

markMEIZANがある名山町の歴史

 

markMEIZANがある名山町は昭和レトロな雰囲気でおいしい飲食店も多い町です。天文館や市役所からも近いのでアクセス抜群です。

 

今回は名山町の歴史・商業などについてご紹介いたします。

 


町名について

名山町は江戸期頃に付近にあった名山堀に由来しています。名山堀は鶴丸城の城下町で発生する火事から、城内を守る堤防の役割を担うため、小川町の南部から山下町・名山町を抜けて全長760mにわたって作られました。対岸にある桜島が堀に映り眺めがよかったことから名山堀と名付けられたのですが、現在、堀は埋め立てられており、港大通り公園などになっています。

 

江戸時代~
名山町の前身となる六日町、築町は江戸時代からある町であり、共に鹿児島城下下町でした。江戸時代の六日町は、広小路に薩摩藩の高札が設置されており、町内では毎月6のつく日に市が開かれていたといいます。築町は安永年間に海岸が埋め立てられた区域に成立した町であり、築町は築地町とも称されていました。

 

明治時代~
明治時代前期は六日町、築町ともに平民が多く住んでおり、町人街だったそう。明治時代になると築町には郡役所や銀行、商法会議所(商工会議所)が置かれました。

明治10年には大区小区制による区長事務取扱所が築町に設置されました。郡区町村編制法が施行されたのに伴いそれまでの大区小区制に変わり、郡制が敷かれ、明治12年には築町に鹿児島郡、谿山郡、日置郡、熊毛郡、馭謨郡の5郡を管轄する郡役所が設置されました。

その後郡役所は明治14年に山之口馬場に移転しました。築町は明治時代後期には鹿児島港の玄関口として賑わいを見せ、六日町には郵便局と警察屯所が設置されました。また、六日町は大正時代以降、鹿児島港に近い立地から商業地域となったそうです。

 

商業

名山堀と呼ばれる下町の飲み屋が連なる地区があり、立ち並ぶ飲み屋は「赤ちょうちん」と呼ばれ親しまれています。木造建築の狭い長屋が連なり古き良き昭和の下町の風情を感じられます。名山町に本社を置く鹿児島酒造が販売している焼酎「名山堀」は名山町の地域活性化のために通り会・町内会とともに開発した商品であり、名山堀の地域限定で販売されています。

 

 

 


 

以上、名山町の歴史についてご紹介でした。

歴史紹介の次は、名山町にある人気の飲食店なども近々まとめてご紹介したいと思います!